終戦ニ伴フ教科用図書取扱方ニ関スル件
(表裏を片面ずつ撮影し合成)
1945(昭和20)年10月3日、北海道庁内政部長から、各支庁長・各市町村長・各中等学校長・各青年学校長・各国民学校長に宛てて出された文書で、いわゆる「墨塗り教科書」に関するものです。
文部省の通知を受けて北海道庁が発出したもので、他県にも同様の文書が残っているようです。
教科書については、追って何らかの指示があるまでは現行のものを使ってよいが、「戦争終結に関する 詔書の 聖旨」に照らして適当でない教材については、全部あるいは部分的に削除して用いるように、という通知です。
詔書(しょうしょ)とは天皇の意思を広く伝える文書のことで、「戦争終結に関する詔書」は国立公文書館デジタルアーカイブで見ることができます。「大東亜戦争終結ニ関スル詔書・御署名原本・昭和二十年・詔書八月十四日」
なお、「詔書」、「聖旨」の前に1字分空白があるのは「闕字(けつじ)」といい、敬意を示すべき字の前を空けるという作法です。
通知の趣旨に続き、具体的な指示が書かれています。
まず一で、削除すべき教材の基準を示しています。
(1) 国防軍備等を強調するもの
(2) 戦意高揚に関するもの
(3) 国際の和親を妨げるおそれのあるもの
(4) 戦争終結に伴う現実の事態とかけ離れてしまったもの、又は今後における児童生徒の生活体験とほど遠いもの
次に二で、教材の一部又は全部を削除したことによって不足してしまった場合は、国体護持、道義確立に関するもの、文化国家の国民としてふさわしい教養、躾(しつけ)等に関するもの、農産増強に関するもの、科学的精神をひらき養うとともにその実現に関するもの、体育衛生に関するもの、国際平和に関するものの中から、教科科目の立場で土地の情況、時局の現実等に考えて適宜採取し、補充することとしています。
活用可能な教材の例として、「国体護持」が挙げられているのは注目されます。
その上で三で、国民学校後期用国語教科書を例にした具体的削除箇所を示しています。国民学校とは、従来の小学校が1941(昭和16)年に名を改められたものです。
この文書は、伊香牛国民学校(現在の北海道上川郡当麻町内にあった)の『終戦ニ伴フ通牒綴 昭和二十年九月以降』(請求記号A50/206)に綴られていたもので、美瑛青年学校・美瑛第一中学校の『終戦ニ伴フ通牒 昭和二十年九月以降』(請求記号A50/626)にも同内容のものがあります。これらの資料は、北海道立教育研究所から移管を受けたものです。
全文
「写」
酉教第一八八号 昭和二十年十月三日
各支庁長
各市町村長
各中等学校長 内政部長
各青年学校長
各国民学校長
終戦ニ伴フ教科用図書取扱ニ関スル件
中等学校、青年学校及国民学校ニ於ケル教科用図書ニ関シテハ、追テ何分ノ指示アル迄現
行教科用図書ヲ継続使用シ差支ナキモ、戦争終結ニ関スル 詔書ノ 聖旨ニ鑑ミ適当ナ
ラザル教材ニ就キテハ、左記ニ依リ全部或ハ部分的ニ削除シ又ハ取扱ニ慎重ヲ期スル等万全ノ注意
ヲ払ハレ度、依命。
一 省略削除又ハ取扱上注意スベキ教材
(一) 国防軍備等ヲ強調セル教材
(二) 戦意昂揚ニ関スル教材
(三) 国際ノ和親ヲ妨グル虞アル教材
(四) 戦争終結ニ伴フ現実ノ事態ト著シク遊離シ又ハ今後ニ於ケル児童生徒ノ生活体験ト甚
シク遠ザカリ教材トシテノ価値ヲ減損セル教材
(五) 其他 承詔必謹ノ点ニ鑑ミ適当ナラザル教材
二 教材省略ノ為補充ヲ必要トスル場合ニハ国体護持、道義確立ニ関スル教材、文化国家ノ
国民タルニ相応シキ教養、躾等ニ関スル教材、農産増強ニ関スル教材、科学的精神啓
培竝ニ其具現ニ関スル教材、体育衛生ニ関スル教材、国際平和ニ関スル教材等ヲ夫
々ノ教科科目ノ立場ヨリ土地ノ情況、時局ニ現実等ニ藉ヘテ適宜採取補充スルコト
三 削除スベキ教材又ハ取扱上注意ヲ要スル教材(◎印)ノ一例ヲ国民学校後期用国語
教科書ニ付示セバ概ネ次ノ如シ
(一) ヨミカタ二 四、ラヂオノコトバ 十六、兵タイゴツコ 十八、シヤシン
(二) よみかた四 三、海軍のにいさん ◎十、満洲の冬 十五、にいさんの入営 二十、金しくんしよう 二十一、
病院の兵たいさん 二十二、支那の子ども
(三) 初等科国語二 ◎一、神の劔 七、潜水艦 八、南洋 九、映画 十四、軍記 十五、ゐもん袋
二十一、三勇士
(四) 初等科国語四 一、船は帆船よ 三、バナナ 四、大連から 五、観艦式 十一、大演習 十二、小さな伝
令使 ◎十七、広瀬中佐 十九、大砲のできるまで 二十三、防空監視哨
(五) 初等科国語六 二、水兵の母 三、姿なき入城 ◎五、朝鮮のゐなか 九、十二月八日 十、不沈
艦の最後 十八、敵前上陸 ◎十九、病院船
(六) 初等科国語八 三、ダバオ 十三、マライを進む 十五、シンガポール陥落の夜 十六、もののふの情
二十一、太平洋
(七) 高等科国語二 二、単独飛行 三、鋲を打つ 八、輸送船 九、ハワイ海戦
尚全教科科目ニ就イテハ追テ之ヲ指示ス
青年学校備品等取扱ニ関スル件
(表裏を片面ずつ撮影し合成)
1945(昭和20)年8月29日、北海道庁上川支庁長から、連絡青年学校長に宛てて出された文書です。
青年学校とは、尋常小学校(現在の小学校に当たる)卒業後、進学せずに働いている青年を対象とした学校で、実業補習学校と青年訓練所を改め、1935(昭和10)年に発足したものです。心身の鍛練、徳性の涵養(育てること)、職業及び実際生活に必要な知識技能の付与を目的としていました。
文書の内容を見ていきます。
まず、「8月26日の学校長会議で注意した『青年学校備品等取扱に関する件』について、左記により取り扱うよう、貴部内(宛名の連絡青年学校長の管轄内)の青年学校長に伝達してほしい」と述べ、次いで種類毎に指示を記しています。
一、銃器 払下銃の御紋章は8月31日迄に抹消し、他の備品と共に一括しておいて、追て指示を待つこと。
学校に銃?と驚くかもしれませんが、青年学校では体操の代わりに軍事教練が行われていました。
「御紋章」とあるのは、銃が天皇陛下からくだされたものであることを示す菊の紋章です。民間に払い下げられる際等には、削ったり、別の線を加えて菊紋でないものにされていたようですが、連合国軍による接収を視野に入れてか、改めて抹消を指示しています。
二、書類 書類の焼却は会議で示したもののほか、教練に関する「秘」取扱のものを本則とするが、教練計画表、査閲関係書類(所見簿を除く)、教練指導方針等は焼却するように。
終戦時に文書の焼却が行われたことは聞いたことがあるかもしれませんが、それを具体的に指示した一例です。
ここでは軍事教練に関するものが列記されていますが、そのほかに会議で示されたものがあったようです。
三、簿冊 別に処理すべきものはないが、軍作戦に関係のある「部外秘」取扱の典・令・範等は焼却もしくは他に散乱させない様に処理し、(軍作戦に関係のある)一般のものは焼却しなくてもよいが散乱させない様に。
簿冊とは帳簿、帳面を綴って一冊にしたもののことで、差出・宛名・内容を備えていたり組織の意思決定のために作られる書類とは区別していたことがわかります。
典・令・範とは、軍人の行動を律するための規範の総称で、これらは焼却等により処理することとされています。
四、指導員ノ軍隊手帳、勲章、徽章等は焼却してはならない。
青年学校手帳もまた同じ(焼却してはならない)。
五、校内に掲示している加藤軍神、山本元帥、その他英霊の写真・偉人の写真等は、取り外ししなくてもよい。
「加藤軍神」は陸軍軍人の加藤建夫(かとう たてお、1903年(明治36年)9月28日~1942年(昭和17年)5月22日)のこと。北海道上川郡東旭川村(現:旭川市東旭川町)出身。太平洋戦争緒戦時、飛行第64戦隊を率いて活躍し、戦死後「軍神」と呼ばれました。
「山本元帥」は海軍軍人の山本五十六(やまもと いそろく、1884年〈明治17年〉4月4日~1943年〈昭和18年〉4月18日)のこと。第26、27代連合艦隊司令長官、海軍大将。前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死。死後、元帥の称号を贈られました。
六、その他 不用な年鑑類は統計があるので焼却してよいこととする。
この文書からは、青年学校は軍国主義的性格が強かったことがうかがえます。
また、この段階では軍国主義的なもの全てを排除するとはしていないことがわかります。
この文書は、美瑛青年学校・美瑛第一中学校(現在の北海道上川郡美瑛町内にあった)の『終戦ニ伴フ通牒 昭和二十年九月以降』(請求記号A50/626)に綴られていたもので、北海道立教育研究所から移管を受けたものです。
全文
上社教秘第一二八号
昭和二十年八月二十九日 上川支庁長
連絡青年学校長殿
青年学校備品等取扱ニ関スル件
二十六日学校長会議ニ於テ注意致置候標記ノ件ニ関シ、左記ニ依リ
取扱相成候様、貴部内青年学校長ニ伝達相成度
記
一括、追テ指示ヲ待ツコト
モノヲ本則トスルモ、教練計画表、査閲関係書類 (除所見簿)、教練指導方針等ハ焼却セラレ度
取扱ノ典令範等ハ焼却若シクハ他ニ散乱セシメザル
様処理シ、一般ノモノハ焼却スルニ及バザルモ散乱セシメザル様
青校手帳亦同ジ
偉人ノ写真等取リハズシスルニ及バズ