知事定例記者会見(平成31年4月22日)

知事定例記者会見

・日時/平成31年4月22日(月) 15:00~15:39
・場所/記者会見室
・記者数/40名(テレビカメラ3台)

会見項目

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知事からの話題

1 退任に当たって

記者からの質問

 1 旧優生保護法について
 2 7月の参議院議員選挙について
 3 4期16年を振り返って(1)
 4 JR北海道の事業範囲の見直しについて
 5 道内自治体の女性首長について
 6 知事の肖像画について
 7 参議院議員で取り組みたい政策について
 8 仕事に対するモチベーションについて
 9 4期16年を振り返って(2)
10 4期16年を振り返って(3)

知事からの話題

 

 

退任に当たって

  それでは、私から最後の記者会見、退任のご挨拶を申し上げたいと思います。
 この4期16年間にわたりまして、報道機関の皆さま方、そして道政記者クラブの歴代の記者を含めた皆さま方に、格別のご理解、ご協力を賜りましたこと、心から感謝申し上げます。最初の記者会見は立って行っていたという写真を、広報広聴課長が見つけてくれまして、それで最後の会見も立って行うことにしました。
 4期16年を振り返りますと、私は、北海道の魅力とその可能性にほれ込んで、2003年、平成で言えば15年、まさに平成の後半に入ったところで、知事に就任いたしました。
 そして可能な限り、この広大な北海道の各地域に足を運び、道民の皆さま方の声をお聞きしながら全力で道政を進めてまいった記憶があります。振り返りますと、知事に就任した頃は、拓銀破綻などもございまして、北海道の経済雇用は大変厳しい状況にあり、そのための政策的手段を打つためのベースとなるべき道財政は、またこれも大変厳しい状況にありました。こういう中で、前例のない行財政改革ということを道職員の皆さんのご理解をいただいて進めながら、本道の限られた財源の中で持続的な発展を図っていく、そういう二正面作戦というか、これを強い決意のもとに進めてきたかなと、こんなふうに振り返ります。
 ただ一方で、2003年、この世紀に入った直後の北海道を見渡しますと、世界に冠たるさまざまな地域資源が多くあったと振り返っているところでありまして、そういったものを十二分に活用しながら、アジアをはじめ世界に北海道の食と観光をはじめとする、いわゆる北海道ブランドを売り込んだなというふうにも振り返るところであります。
 そういった中の一つの大きな飛躍のきっかけとなったのが、2008年の北海道洞爺湖サミット、これはライバルが当時強敵と言われておりました京都府などだったわけでありますが、誘致に成功したということに伴って、20カ国を超える首脳の方々に世界から私たちのふるさと北海道へお越しいただき、これが大きなきっかけとなったかなと思いますし、また、知床の世界自然遺産登録、このことがかなったことも大きかったかなと、こんなふうに振り返っているところであります。
 それから交通基盤整備ということも進めてまいりました。北海道新幹線の着工の決定と、その一番列車を迎えるということも実現できました。また、航空路線の拡大ということも相当程度進んでまいりましたし、それから広大な北海道の中における高規格幹線道路整備率、これについては、知事就任時点においては32パーセントであったものが、直近の数字で64パーセントまで上がったところであります。今、道東のほうでは、釧路からその先に向けて少しずつ進んでいるところでもあります。
 建設部の調べによりますと、16年間で570kmの高規格幹線道路整備が進んだようでありまして、この距離というのは、東京から姫路までの距離に相当するということであります。国、それから道路整備の会社(東日本高速道路株式会社)、もちろんわれわれの負担ということも一部あったわけでありますけれども、こういったことも進んだところであります。
 それから、医療福祉の分野、あるいは子育てしやすい環境づくり、こういったことも進めさせていただきました。ドクターヘリの4機体制を整備いたしました。メディカルウイングの運航などを含めて、こういった分野の仕事もさせていただいたと振り返っております。
 文化の面では、アイヌ文化の発信、ウポポイ(民族共生象徴空間)は来年の4月完成のところまでまいりました。また、縄文文化の発信、これは北東北3県の皆さま方との連携プロジェクトであります。そういったことを含めて、昨年は北海道命名150年の節目を迎えまして、この素晴らしいふるさと北海道を未来へ大切につないでいこうという思いを、道民の皆さま方と共有できたかなと、こんなふうに振り返っているところでございます。
 一方で、自然災害などの対応ということもたくさんございました。去年、まさに命名150年のこの年に、北海道がかつて経験したことのない最大震度7という胆振東部地震を経験したところであります。まだその復旧・復興の途上でもございますが、こうしたことをはじめとして、この16年間を振り返りますと、知事になった平成15年の夏、台風10号という、大雨の台風で、日高、十勝が大変な状況でありましたが、その後も激甚化する大雨、豪雪、大地震、そして鳥インフルエンザ。鳥インフルエンザはもう全国的に、各県が経験しておられるところでありますが、極寒の12月中下旬に私ども北海道で経験したこの鳥インフルエンザの対処というのは、私も大変な記憶として残っているところでございます。
 まだまだ申し上げたいことは多々ございます。思いは語り尽くせないところでありますが、この16年間、北海道の元気を育み、未来に向けた発展の礎を築けたのかなと、こんなふうに振り返っているところでございます。
 ここまで知事として全力で仕事に取り組むことができました。そして、職責を全うすることができましたことは、私の道政運営に対してのご理解とご協力をいただいた道民の皆さま方のご支援のおかげでありまして、心から感謝を申し上げます。
 北海道は今、さまざまな課題を抱えているのも事実でございます。全国共通の課題でもございますが、人口減少問題への対処、また担い手不足への対応、それから地域交通の確保など、さまざまな問題、こういったことに粘り強く取り組んでいかなければならないと、このように考えているところでございます。
 令和という新しい時代を迎える中、私のあと、知事に就任される鈴木直道さんには、これまでの経験、そして新しい、若い発想力で、道民の皆さま方、地域の皆さま方と力を合わせて、さまざまな課題をしっかりと乗り越え、この魅力ある北海道を未来へとしっかり引き継いでいただきたいと、こんなふうに考えているところでございます。
 私は明日から一道民の立場になるわけでありますが、これからも大好きな北海道のため、ふるさと北海道のために働いてまいりたいと、こんなふうに考えているところでございます。
 お集まりの道政記者クラブの皆さま方におかれましては、この16年間、週1回、
4.6日に1回の記者会見にお付き合いをいただき、また海外の出張に同行取材をしていただいた方々もおられますし、それから災害報道、また全道広いのですが、そういったそれぞれの訪問先にもご同行いただくなど、本当に私の道政の取り組みについて、広くきめ細やかに道民の皆さま方にお伝えいただいたことに、あらためて心から感謝を申し上げる次第であります。
 皆さま方との議論やさまざまな出来事は、私にとって生涯忘れることのできない大切な財産であります。皆さま方それぞれのお立場での、ますますのご健勝、ご発展を心からお祈りを申し上げます。
 16年間本当にありがとうございました。

 

 

記者からの質問

(北海道新聞)
 16年間お疲れさまでした。

(知事)
 ありがとうございます。

(北海道新聞)
 旧優生保護法のことだったのですけれども、強制不妊手術を受けた方たちを巡る動きというのがこの1年間、目まぐるしくあったかと思います。道としてもいろいろ対応されてきて、被害者の方々への救済法案なども今週中にも成立するような動きとなっていますが、被害に遭った方が全国でも道内が一番多いわけですし、今後、新しい知事に向けて、対応について期待することや注文があれば教えていただきたいということと、知事ご自身も、国政に挑戦されるわけですけれども、今後この問題について取り組みたいと思っていらっしゃることなどがあれば教えてください。

(知事)
 分かりました。旧優生保護法に基づく形で、強制的な手術あるいは形式的には同意をしたということではあるけれども、やはり意に反して手術を受けられた方、そういった方々の人数というのが、残された資料で確認する限り、全国の中で北海道が最も多かったという、大変厳しい、そして悲しい現実の中で、私ども道といたしましては、担当部局を中心に国に対してさまざまな現状の報告に加えて、われわれの経験から、こういったことをやるべきだという、そういう政策提言もここまで続けてきたところでございます。
 そういった中で、一時金支給法、救済のための法案というのが、今週参議院で審議され、多分これは与野党とも賛成すると思いますので成立という運びになるのかなと、こういう時点にきたところであります。以前もこういう記者会見の場で申しましたけれども、ハンセン病の場合には司法の判断が確定した後の政府としての救済ということでございましたが、(旧優生保護法のもと)被害に遭われた方々の高齢化が大変深刻な状況にある中で、救済するという趣旨の法律が先行して成立しつつあるということは、私は率直に一定の評価をさせていただきたいと、このように思うわけであります。
 しかしながら、この一時金の額などについて大変不満であるということが訴訟を起こしておられる方々などから出てきているという、こういう重い事実もあるわけですので、法律は早期に成立をしたとしても、やはり司法判断が確定した段階でしっかりとそれに沿う形での法改正ということも検討していかなければならないのかなと、これは強く思う次第であります。
 また、これも以前の記者会見で申しましたけれども、なぜこういった法律が戦後、昭和23年、1948年に国会において議員提案され、全会一致という形で成立をしたのかという、その時代背景を含めて、その経緯というものの検証が不可欠だと思います。また、この法律を踏まえての施策の実施についての検証ということもしっかりやっていかなければならないわけでありまして、そこから見えてきた事実を踏まえて、法律の改正ということもあり得るでしょうか。今後の私ども日本国における、そして北海道における、こういったさまざまな医療福祉分野の政策の大きな参考材料にもしていかなければならないのかなと思う次第であります。
 道庁といたしまして、法律が施行されれば、直ちに市町村、障がい者団体、医療機関などとの連携のもとに、お一人でも多くの関係の方々に周知を図って、救済ができるように当事者の方々に寄り添った対応をしていかなければならないと思う次第でありまして、新知事におかれては、こういった道庁のこれまでの経緯も踏まえて、当事者の方々に寄り添った対応の陣頭指揮をしていただければと、このように思う次第であります。
 そして、私自身は、一道民となり、また先ほども触れていただいたとおり、どうなるか分かりませんが国政を目指すということを考えておりますので、そういった立場でやはりできることはしっかりやっていきたいというふうに思う次第であります。

(北海道新聞)
 今のお答えにもありました、出馬を予定されていらっしゃるこの夏の参院選に向けた対応についてお尋ねいたします。自民党道連の吉川会長は先週、16日に知事と共に自民党公認で出馬を予定されていらっしゃる岩本さんを重点支援するように、衆院の道1区から12区の全支部に対して、その重点支援を要請する方針を示されました。
 知事は、知名度が高く選挙優位だろうと、逆に2議席確保のために、岩本さんを支持を集めていくことが狙いのようなのですが、この方針について、高橋知事はどのように考えられますか。

(知事)
 私も一党員になりましたので、そういうことかなというふうに思いますが、ただ選挙というのは、戦う本人にとっては自分の選挙だけでありますので、それは一生懸命やるということだけかなと思います。その決定を(自民党)道連の役員会でされた夜、何人かの支部長の方からお電話をいただいて、「こういうふうになったよ」というご報告をいただきました。

(北海道新聞)
 公認を得られているわけですけれども、公認の意義とかを問い直されたりとかそういう考えはないですか。
 つまり、やっぱり平等に扱って欲しいとかそういう思いはないですか。

(知事)
 これから考えます。

(毎日新聞)
 どうも16年間お疲れさまでした。2点お尋ねしたいので、1点ずつ伺っても良いでしょうか。まず道議会の最後の日に「花を咲かせた」というようなお話をされていて、その思いとしては16年間で悔いることよりも何か達成感みたいなほうが大きいのか、どういうお気持ちでのお話だったのでしょうか。

(知事)
 議会の最終日にそんなことを言いましたっけ。その日暮らしでやらせていただいておりますので。今冒頭のご挨拶の中で申しましたことと重複するかもしれませんが、この16年間、すなわち平成でいうと後半の期間、あるいは世紀でいうと今世紀に入った直後の15年間、いろいろと私なりに道庁の幹部職員と議論する中で、北海道が何を目指すべきか、何を有効活用すべきかというようなことを考えて、北海道が有する自然環境であるとか、水資源であるとか、食であるとか、景観の美しさであるとか、これを全て自前で北海道を世界に売り込む素材として超一流であると、これを一生懸命やろうよということを一つやってきました。よく「食と観光の売り込み」と平たくまとめられてしまうのですけれども、もっと幅広い北海道価値みたいなものを売り込んできたというのは少しずつ形になってきたなというのは思いますね。
 インバウンドの数だけをとっても、ものすごく増えていますよね。実数は今出てきませんけれども、9倍以上になったと思いますし、先ほども礎という言葉を使わせていただきました。まだまだこの私たちのふるさと北海道は伸びしろがあるというか、さらに世界に対して発展をする余地を有している地域だと思いますけれども、鈴木知事にも、私がやってきた食と観光はこれからもしっかりやるということも言っていただいているので、礎の部分というのは、やってきたのかなということなどを踏まえて、そのように発言したと思います。

(毎日新聞)
 あと2点目は、急に細かい話になってしまうのですが、JR問題は、まだ途上にあると思うのですが、特に地財措置とか道と沿線自治体の財政負担のあり方というところについては、かなり高橋知事もトライしてきた様子が見られて、求めるほどにはなかなか進まないような様子も最終盤見られて、それはやはり各省庁とか沿線自治体とかプレーヤーも非常に多い話だったと思うのですけれど、何が特に難しかったと今振り返って思いますでしょうか。

(知事)
 全てですね。ただこの問題のその衝撃の大きさを踏まえて、まずわれわれは鉄道を含めての北海道の交通体系をどのようにすべきかという交通政策総合指針を今おっしゃった関係者を全部集めて、基本的な議論のスタート台として作らせていただきました。今それを具体的に展開するために、また関係者、国との関係もありますし、地元の関係の方々とのこともありますし、もちろん道議会との関係もありますし、それを一歩一歩進めているわけでありますけれども、これから新しく引き継がれる知事におかれては、国から取るものをしっかり取ってくると、これは当たり前のことでありまして、あとは地域、これは前から申し上げておりますが、179の市町村がそれぞれの議会を抱え、それぞれの住民がおられ、それぞれが思いを持って地域展開をしておられるわけでありますので、そことの信頼関係を一対一の関係を含めて、協働して当たるという形をつくっていかないとこの問題のさらなる展開というのはなかなか難しいかなというふうには思います。

(朝日新聞)
 お疲れさまでした。今回の統一選の関連の話ですけれども、高橋知事がここで退任されると、道内から女性の首長がいなくなるということになってしまったのですけれども、一方で、女性の町議や、地方議会議員は増えている側面も、道議は今回減ってしまったと思うのですけれども、女性のそういう政治進出、社会進出、女性の首長がいなくなってしまったということに対しての知事の受け止めを教えていただけますか。

(知事)
 16年間を振り返りますと、上川管内の東神楽町に、2008年、ご当選をされて、1期、2012年まで町長をされた川野さんという政治家の方がおられました。16年間で私以外の女性の首長さんが、179プラス1の180枠がある中で1人だけだったというのは、これが事実でございます。
 また、確かに今おっしゃったとおり、道議会議員でも今回の選挙で、女性の議員が減っていましたよね。ただ、議員の分野では、女性の進出も少しずつ進んでいるわけでありますので、なかなかこの首長と議員で、たまたまかもしれませんが、女性の進出の状況がちょっと違うというのは、女性首長の1人として大変残念であります。
 どうすれば良いかというのは、なかなか難しいところでありますが、やはり環境整備として、これは女性議員に向けても一緒なのでありますけれども、子育て環境であるとか、あるいは家事の分担の見直しというような環境、それから介護の問題など、やはりそういう女性進出を進めるような環境整備に力を尽くしていくということが、私どもができることかなというふうに思います。
 私自身、首長を卒業いたしまして、その後、議員を目指す立場でございますので、今度はより自由な立場というか、より女性議員なり、女性の政治家を増やすということについて、真正面から取り組んでいきたいなということは強く思っております。

(朝日新聞)
 関連してもう1点だけなのですけれども、16年間実際に女性の首長として務めてこられて、女性首長の役割みたいなものというのはどういうふうに考えられていますか。

(知事)
 私の16年の経験からすれば、女性はむしろ首長に向いているんじゃないかなというふうに思う場面は結構あったわけでありまして、首長の仕事は本当に多種多様でありますけれども、利害が相対立する関係者の調整というのが一つの大きな役割でありまして、こういう分野では、私は基本はニコニコ顔でありますので、まとまらなそうなものが、「まあそうは言っても」ってこっちに言って、「そう言っても」ってこっち(反対側)にも言って、何となくまとめるとかね。そういうのは男性の怖い顔の首長よりも結構うまくいくんじゃないかなというふうなことを思ったような気もいたしますけれども。
 それからもう一つは、前回の記者会見でも申しましたけれども、道庁というのは、転勤を伴う職場でありますので、女性職員の方々自身も、転勤するぐらいだったら偉くならなくても、同じ場所で働きたいというような思いの方々もおられる。あるいは、男性が圧倒的に多い道庁の中で、なかなか女性職員の方々がはつらつとプロモート(昇進)してもらえるような環境になかったので、そうした環境の中で、例えば都庁などとの比較において女性幹部職員の割合が圧倒的に低かったわけでありまして、これは私自身が、やはりフルタイムで霞が関で20何年働いて、結婚もして子育てもして苦労しっぱなしでありましたので、そういう経験も踏まえて、人事当局が女性職員の方々から個別に相談を受けながら、例えばお子さんや家庭の状況を踏まえて仕事を続けるなり、転勤するなり、サポートの制度、仕組みはつくりましたけれども、そういったこと以外の分野では、女性の首長であるけれども、やはり住民の方々は、男性と女性が半々いらっしゃるので、満遍なく道民の方々に行きわたるような政策ということを常に考えておりましたので、その意味では、これから国会議員を目指す中で、今までできなかったこと、あるいは、あえてそこまで気配りをしなかったようなことについても、考えを及ぼしていきたいというふうに考えております。

(北海道新聞)
 16年間お疲れさまでした。お疲れさまという意味で、知事の肖像画というのは慣例で毎度作っているのですけれども、次の知事が決めることだという話もあるのですが、知事としてのご希望があればお答えいただきたいなと思います。

(知事)
 全くそこまで思いは及んでおりません。ご案内のとおり、(肖像画を飾る)赤れんが庁舎は、秋からより観光のスポットとして素晴らしいものとなるように整備をいたしますので、リニューアルは相当先のことになると思います。
 そのときの現職の知事から何かお問い合わせがあれば、そのときまでに考えたいと思います。

(北海道新聞)
 別件なのですけれども、不出馬会見のときにも尋ねたのですけれども、参議院議員になって、自分ならこういうことができるなとか、やってみたいというテーマがあれば、ぜひこれをというのを一つ教えていただきたいなと思います。

(知事)
 そうですね。今日までは全力投球で知事をやってまいりましたので、まだ次に向けて政策づくりももちろんしておりませんし、(明日以降使う)名刺の用意をようやく間に合わせることができるかどうかぐらいの段階なので、思いが及んでいないというのが現状でありますけれども、ここまで16年間、知事として追い求めてきた北海道のこれからということについて、一歩でも先に進める、そのことに国政の場で大きく貢献できることは山ほどあると思います。そういったことに力を尽くしていきたいなというふうに思っております。

(北海道新聞)
 今、全力投球という話もありましたけれども、この16年間、就任当初大病もされました。24時間365日、働き続けてこられたと思いますが、この仕事に対するモチベーションといいますか、原動力というのは何だったのでしょうか。

(知事)
 まず第一に、この北海道が大好きだったから立候補しました。もう一つは、北海道でこれだけ21世紀型の魅力ある資源があるにもかかわらず、必ずしもそれを生かすということが当時、今世紀当初の道民の皆さま方は、十分にやっておられなかったような気がしましたので、それを自分が先頭に立って、やりたい、やらなければならない。そのポストを得るためには選挙に出なければならない。それがやっぱり出馬への大きな私の思いだったと思うのですね。
 それは今に至っても、全く変わりはございません。一歩一歩ではありますけれども、私が当時思っていた可能性というものが、北海道にあるという確信は今でも全く変わっておりません。やはり自分が求めた仕事をやることができたという思いと充実感がここまで仕事をやり続けることができたモチベーションだったかなというふうに思いますね。

(北海道新聞)
 もう1点、すいません。先ほど冒頭のご発言の中で、少し目をうるうるっとされていたかなと思います。

(知事)
 そう見えましたか、していませんけど。

(北海道新聞)
 仮にそれがもし涙だとすれば、その涙の意味、思いというのは何だったのでしょうか。

(知事)
 すいません。うるうるっとしていないので、適当に書いていただければと思います。ごめんなさいね。

(北海道新聞)
 ありがとうございます。

(読売新聞)
 4期16年お疲れさまでした。
 今回の統一地方選の期間中に各社の世論調査等で、高橋道政4期16年の評価については、おおむね7割、評価するという回答があったと理解しています。
 何で、高橋道政がこれだけ道民の支持を得られることができたのかという自己分析、高支持率を維持するための秘訣があれば教えてほしいのと、あとは引き続き北海道づくりには関わっていくとおっしゃっていましたけれども、知事として道民に向けて発するメッセージはこれが最後になると思いますので、道民に何かメッセージがあれば教えてください。

(知事)
 それは、私自身がやっぱり北海道のこと、北海道民の方々が大好きで、そういう気持ちが道民の方々にも伝わったということかなと。それを伝える術というのは、私が直接お会いすることができる方々というのは限られているわけでありまして、まさに冒頭、これも申しましたが、こうやって記者会見で、私がこういうことを言った、こういうことも道庁でやっているという発信をしていただいた記者の皆さま方のご貢献、お力添えのたまものだというふうに感謝をいたします。お答えになっていますでしょうか。大好きだから相思相愛ということですね。
 メッセージですね。難しいな。4期16年、知事として全力で仕事に取り組むことができたこと、そして、職責を全うすることができたことは、本当に道民の皆さま方のお力添えのたまものでありまして、心からの感謝であります。これはさっきも言いましたね。
 今振り返りますと、本当に良い思い出ばかりでありまして、個々に見ていくとそういうつらいこともあったなというのが結構あるのですけれども。全道どこへ行っても温かく、男性の方も女性の方も迎えていただきましたし、子どもたちと一緒に給食を食べたり、田植えをしたり、本当にいろいろ楽しかった思い出ばかりが今、目の前に浮かぶところであります。
 これからも、北海道の未来をさらに高いところに持っていく、その潜在力、可能性は大変高いものがあると思いますので、今後とも、道民の皆さま方におかれては、道政、道庁、そして、新しい知事に対して、変わらぬお力添えをいただければとメッセージを出させていただきます。ありがとうございます。

(釧路新聞)
 16年間、ご苦労さまでした。知事のこれまでの16年で、一番苦しかったこと、つらかったこと。また一番うれしかったこと。その2点を教えていただけますでしょうか。

(知事)
 一番つらかったのはやはり2004年の1月に入院をして手術したことですね。
 うれしかったことは、山ほどあります。やっぱり1回目だけということではなくて、釧路地方も含めて各地にお邪魔すると、「よく来てくれたね」と、地域の方々に温かくお迎えいただきました。それが、うれしかったですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


この文章については、読みやすいよう、重複した言葉づかい、明らかな言い直しなどを整理し作成しています。

(文責 広報広聴課)

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