広報紙2023年1月号 特別号 北海道から世界へ!アスリートへの道

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北海道から世界へ!アスリートへの道

世界で活躍するオリパラ選手にも、人生のターニングポイントがありました。
北海道出身のトップアスリートからあなたへのメッセージ。

陸上競技やり投選手 2022オレゴン世界陸上 銅メダリスト 北口 榛花(きたぐち はるか)さん

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陸上競技やり投選手
2022オレゴン世界陸上 銅メダリスト
北口 榛花(きたぐち はるか)さん

1998年、旭川市出身。旭川東高等学校で陸上競技を始め、やり投選手として頭角を現す。 日本大学に進学。2019年から、やり投強豪国チェコのデービッド・セケラックコーチの指導を受ける。2020年、日本航空に入社、JALアスリート社員として活動中。 東京オリンピック決勝進出12位。2022オレゴン世界陸上で63m27を投げ、日本女子フィールド種目で史上初の銅メダルを獲得。

スポーツは楽しむことが一番大切

やり投は記録への挑戦、自分との勝負

 子どもの頃から水泳、バドミントンをやってきて、高校でも水泳を続けるつもりでした。「背も高いし、バドミントンのスマッシュも速いし」と陸上部から毎日のように誘われ、一度やり投の体験をし、楽しいかもしれないと感じました。「水泳と両立できるなら」と入部を決めましたが、陸上、水泳、勉強と、ハードな日々を続けるうちに体力の限界を感じ、1年目で陸上の成績が出たので、やり投にしぼることにしました。

 水泳やバドミントンは常に対戦相手の出方を予測して戦う競技。その点、やり投は記録への挑戦、自分との勝負。与えられた6投一本一本に全力を出せるので、自分の性格に合っていると思います。

海外で学んだのは、選手と観客の一体感

 天真爛漫だといわれますが、大学時代、食事ができないほど悩んだ時期もありました。やり投専門のコーチがいなくなり、トレーニング内容やスケジュール調整も自分一人で抱えてしまい、いい記録も出せなくなりました。

 そんな時期、やり投を学ぶためワールドカンファレンスに参加しました。そこで出会ったチェコ人の方から「オリンピックを目指すのにコーチがいないの?」と驚かれ、たどたどしい英語で何とか交渉し、引き受けてくれたのがセケラックコーチです。10代のジュニアを教えるのが専門で基礎的な指導も多いのですが、今、自信を持って投てきできるのはコーチのおかげです。世界陸上の銅メダルにも結び付きました。

 海外のトップ選手から学んだのは、観客と一緒に試合をつくること。重要なのは記録を伸ばすことですが、ここぞという投てきの前、観客に手拍子を求めて会場を盛り上げます。私も同じように試合では観客との一体感を生み出せるようにしています。

スポーツを楽しめる北海道であってほしい

 日本人は、根をつめて練習するのがスポーツだと思いがちですよね。私は試合が終わると1カ月は競技から離れます。グラウンドにも行きません。もちろん体を休める意味もありますが、精神的に競技から離れることも必要です。休んだ分だけ、本気で練習したいと思えてきますから。

 競技であっても、スポーツは「楽しむこと」が一番大切。自然に恵まれ、おおらかな人が多い北海道はそれができる環境だと思います。

 これからも笑顔でいられるように頑張ります。皆さんも一緒に楽しんでください。

自転車競技選手 2008/北京・2012/ロンドン・2016/リオパラリンピック銀・銅メダリスト 藤田 征樹(ふじた まさき)さん

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自転車競技選手
2008/北京・2012/ロンドン・2016/リオパラリンピック銀・銅メダリスト
藤田 征樹(ふじた まさき)さん

1985年、稚内市出身。小学生時代はスピードスケート、中学・高校時代は陸上競技、東海大学に進学してトライアスロンを始める。2004年に交通事故に遭い両足ひざ下を切断したが、2年後トライアスロン競技で完走を果たす。その後、パラサイクリング選手として活躍。2008/北京(銀2・銅)・2012/ロンドン(銅)・2016/リオパラリンピック(銀)で5つのメダルを獲得。2020/東京パラリンピック6位入賞。

誰もがやりたいと思えば挑戦できる

両足義足になっても見えた可能性

 子どもの頃から、自転車への憧れは強かったです。稚内で「ツール・ド・北海道」を観戦して興味を持ち、大学の友人に誘われてトライアスロンを始めました。帰省中の交通事故で、両足ひざ下を切断しなければならなくなりました。

 状況を受け入れるまで時間はかかりましたが、医師から「今は義足も発達しているから、歩けるようになる可能性はある」と言われ、スポーツへの復帰も期待しました。それは、事故の前に偶然見た、義足のトライアスロン選手のドキュメンタリー番組が頭の片隅に残っていたからです。何よりも大きかったのは、同じ病院に義足のリハビリ中の患者さんがいたこと。その方の話を直接聞くことで、僕の可能性も膨らんだ気がして、リハビリに取り組むことができました。

100分の1秒のタイム差を独走で競う緊張感

 退院後、1年2カ月ほどで健常者のトライアスロンに挑戦しました。2回目のチャレンジで完走することができ、今度はもっと速くなりたいと欲が出てきました。強化の一環で日本障害者自転車競技大会に出場したのが、世界大会に挑戦するきっかけです。北京、ロンドン、リオ、東京とパラリンピックに挑みながら、もっと強くなりたいと健常者のレースでも競っています。

 パラサイクリングは、障がいに合わせて自転車や道具の工夫が違い、その製作や調整を支えてくれる人は大切な存在。自転車競技にはトラックレースとロードレースがあり、僕が得意なのは一般の道路コースを各選手が時間差でスタートするロードタイムトライアル。起伏やコーナー、天気などが影響する中で100分の1秒のタイム差を競うので、観客の皆さんもかなりドキドキできるはず。そして、義足で自転車を走らせる姿をぜひ見てほしい。義足でもこんなに可能性があるんだと知ってほしいし、かっこいいと思ってもらえたら嬉しいです。

前向きな気持ちになれるのがスポーツ

 夏の涼しさや交通量、美しい風景を考えると、北海道ほど自転車にふさわしい環境はないです。宗谷岬や宗谷丘陵でサイクリングを楽しむ人も増えているようですね。僕は特に、利尻・礼文が見える西海岸の夕日が好きです。

 東京パラリンピック後、トレーニングの一環としてマウンテンバイクを始めました。これが、全く下手なのに楽しいんですよ。障がいがあってもなくても、誰もがやりたいことにチャレンジでき、上手くできなくても楽しく前向きな気持ちになれることが大切で、それがスポーツの醍醐味。

 皆さんも、ぜひトライしてみてください。

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