分類記号:B0-135
井上貫流左衛門は、幕府の軍事職である先手組堀田土佐守の組合同心で砲術師。生没年は不詳。1808(文化5)年に蝦夷地警備を仰せつけられ、鉄炮方井上左太夫の手附として、高島(現小樽市)に入った。ロシアの襲撃に備え、次男井上末五郎、石崎万右衛門、笹島忠五郎、吉沢右内、吉川幸次郎、中根又右衛門、渡辺雄蔵ほか従者と西蝦夷地の要衝である高島を見張り警戒するが、結局ロシア船はあらわれず、到着後2月足らずで命令により引き上げている。井上貫流左衛門は翌年も再び蝦夷地に赴任した。
資料は、蝦夷地赴任の経緯や手当金、現地での数件の伺文、江戸への帰府途中の記録などで、大部分が1808(文化5)年のものである。
なお、「西蝦夷高島日誌」(当館旧記0041)は、同行した中根又右衛門の手によるもので、蝦夷地警備が終わり江戸に帰るため高島を出発し松前に至る間の日記である。
1807(文化4)~1825(文政8)年
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