分類記号:B4
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三田村多仲は、1872(明治5)年開拓使官吏となり、樺太詰を命じられた医師。1875(明治8)年に千島・樺太交換条約が締結されて樺太全島がロシア領となると、樺太を去って札幌病院の勤務となった。1887(明治20)年に退職後は札幌に三田村病院を開設し、のち札幌医会(札幌医師会の前身)の初代会長を務めている。資料は、履歴書、日誌、紀行、漢詩などで、このうち樺太在勤中の日誌8冊からは、日露雑居当時の樺太の様子がうかがえる。
1838(天保9)~1906(明治39)年
43点
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