利尻島国保中央病院
2021.03.26 記事
- プロフィール
- 兵庫県神戸市出身
2001年に関西医科大学を卒業後、同大学附属病院救急医学科に入局、高度救命救急センターに研修医・医員として在籍。2005年に市立岸和田市民病院救急診療科医員、2010年に医長、2014年から部長。この間、災害医療やソマリア難民キャンプでの国際医療等に携わる。2017年から利尻島国保中央病院に副院長として赴任 - 資格
- 日本救急医学会 専門医
日本医師会 認定産業医 - 座右の銘・モットー
- think globally act locally
最北の離島で唯一の病院
島民の健康と命を守る拠点
北海道北部、日本海に浮かぶ最北の離島である利尻島。日本百名山にも選ばれている利尻山や、高級品として有名な利尻昆布など、自然豊かな漁業と観光の島として、全国にその名を知られています。利尻町と利尻富士町という2つの地方自治体で構成され、総人口は約4,500人。島で唯一の入院医療機関(42床)である利尻島国保中央病院は、救急患者を24時間365日受け入れ、訪問診療にも取り組むなど、少子高齢化が進む離島の住民の命と健康を守る拠点です。
診療科は、内科、外科、整形外科、小児科、産婦人科、眼科、リハビリテーション科、放射線科、救急科の9科。常勤医師は3人で、産婦人科、整形外科、眼科の診療は島外から専門の医師を月1~2回招聘しており、それ以外の日は常勤医師が担当します。2019年度の患者数は、入院が延べ5,503人(1日平均15人)、外来は延べ1万8,614人(同77人)です。副院長(管理者)を務める淺井医師に、利尻島の総合診療や地域医療のあり方などについてお聞きしました。(インタビューは2021年1月、オンラインで行われました)
島に必要な医療を提供
自己研鑚を怠らず、島民の信頼を得る
副院長の淺井悌医師は、もともとは救急医療の専門家で、災害医療や国際医療の経験も持っています。2017年に大阪府から利尻島に移住しました。就任早々、総合診療科(院内標榜)を開設し、患者が担当医を選べるようにするなど、島民のための総合診療に取り組んでいます。また、医師のワークライフバランスを重視して、当直などの負担がなるべく少ない仕組みを構築しています。
「自分自身、総合診療はこうあるべきだ、という固定観念は全く持っていません。島で必要な医療を提供し、それにアダプトしていくのが総合診療医の役割ではないでしょうか」。淺井医師の総合診療医としての取組は2つあるといいます。1つは臨床面で自己研鑚を怠らないこと。「古びた知識のまま惰性で診療する医師にならないよう、常に危機感を持って新しいことを学んでいます」。
もう1つは、医療行政上の課題を解決すること。島内には2つの自治体があり、利尻町には利尻島国保中央病院、利尻富士町には町立と道立の2つの診療所があります。「人口比でいえば医師総数5名となり足りてはいますが、一人ひとりの医師がファンクション(機能)できているかといえば、必ずしもそうではありません。それをどうにかできればと思っています」。しかし、アクションを起こすためには、島民の信頼を勝ち得る必要があると淺井医師は考えます。「具体的にはやっぱり勤務年数でしょうか。理想論を言ってもきりがありませんし、それだけを言っても、島民の信頼は得られません。私は利尻に来て4年になりますが、まだまだ変えられないことがたくさんあります」。信頼を得るためには、毎日しっかり臨床に取り組むのが責務だと淺井医師は強調します。
救急医療と国際医療に打ち込んだ若手時代
ワークライフバランスを求めて利尻へ
神戸市出身の淺井医師は、大阪府にある関西医科大学を2001年に卒業して、救急医学科に入局しました。医師としての根っこには、受験生時代に遭遇した阪神淡路大震災があるといいます。「災害医療の活動を見たことで、災害医療や難民医療をやりたいという気持ちがありました」。アフリカの難民キャンプで仕事がしたいという希望を持ち、産婦人科でも研修を積みました。救急専門医を取得した後、2005年後半からは市立岸和田市民病院の救急センターに移りました。
長崎大学熱帯医学研究所で熱帯医学の研修を受けて、アフリカのソマリア国境にある難民キャンプに旅立ちました。約4か月間の滞在期間中は、過酷な現実を前に「いろいろな思いが芽生えた」といいます。オランダ王立熱帯医学研究所で国際保健を学びましたが、「やっぱり臨床がやりたい」と再び岸和田に戻り、救急・集中治療医として働きました。
市立岸和田市民病院には合計11年間在籍しました。40歳を超え、ワークライフバランスを図ろうと、北海道に住む場所を移そうと決心しました。もともと北海道が大好きで、登山や山スキーなどで、年に20回も遊びに来るほどでした。最初は札幌で仕事を探しましたが、「ブティック型病院がほとんどで、自分が希望する全次救急をしっかりやっている総合病院が見つかりませんでした」。悩んでいたところ、何度か訪れたことのある利尻の知り合いから「院長を募集しているが、来てくれる医者がいなくて大変だ」という声を聞き、「助けになるのであれば」と、2017年に移住しました。
常勤医師の負担が少ない仕組みを構築
都会の病院ともギブアンドテイクの関係
離島での医療というと毎日忙しくて休みもなかなか取れないというイメージを抱くかもしれません。でも実際は違います。「大阪時代よりも休みが多く、出張にも行けますし、体はとても楽になりました。へき地医療や地域医療は、その場にロックインされる固定観念がありますが、へき地にもワークライフバランスはあります」。淺井医師が研修などで出張する際は代診の医師に来てもらいますが、淺井医師が札幌の救命救急センターに当直の応援に行くこともあります。「へき地医療は、へき地が全部受けるだけのものではなく、ギブアンドテイクです。都会の病院からも来てくれるし、こちらからも都会の病院へ行きます」。
病院では、初期臨床研修の地域医療研修を受け入れているほか、救急専攻医の研修プログラムの地域研修病院として、全国6か所のプログラム基幹病院に登録しています。研修の医師が定期的に来てくれるようになったことで、淺井医師自身はもちろん、他の2人の常勤医師も気軽に休みが取れるようになりました。これらの仕組みは、淺井医師が救急医のネットワークなどを通じて構築したものだといいます。「以前は3人のうち1人が長く休むと、残った2人が大変でした。今は3人+αの医師がいて、負担が減っています。コメディカル職員にも札幌から短期応援に来てもらえる体制があります」。
新型コロナ対応は早期から準備
常に最悪を想定した診療を心がける
利尻島国保中央病院は、厚生労働省が再編・統合等の「具体的対応方針の再検証」を求める公立・公的医療機関等に含まれています。淺井医師は「再検証の必要性は感じますが、新型コロナウイルス感染症の診療を経験して、病院で良かったと思うことが多く、病院という形態を維持できればいいと思っています」と語ります。有床診療所という選択肢もありますが、そうすると医者の数が減ってしまうことが危惧されます。現在3人の医師が2人になると、当直が月10回から15回に増えることになります。そうなると、「医者はもちろん、コメディカルも来てくれません」と説明します。
新型コロナへの対応は、早期から準備していました。「2020年初めにイタリアで感染が急拡大しましたが、利尻であっても、そのうちに感染者が出るだろうと思い、4月上旬にアイソレーター(陰圧式患者搬送用器具)を使った飛行機搬送訓練を行いました」。4月下旬に島内で初めての感染者が出ると、同病院にいったん入院し、自衛隊ヘリが島外へ搬送してくれました。11月にはクラスターが発生しましたが、「秋から爆発的に増えるだろうと準備していました」。4月の教訓をもとにコロナ病床を整備し、院内の受入態勢も整えていたため、約30人の感染者のうち22人を同病院で受け入れることができました。「コロナは起こるべくして起こった災害みたいなものです。災害医療は常に最悪のシナリオを想定して、それに合わせて準備します。準備の過程では、病院が『ワンチーム』になれたことが良かったです」。淺井医師は、普段から最悪の場合を想定した診療を心がけています。「島で提供できる医療には限界があり、見逃して悪化するようなことは最も避けたいので、一人ひとりの患者さんを丁寧に診ています」。
メッセージ
地域医療も総合診療も、頭でっかちに考えてしまいがちですが、それぞれの地域によって必要とされる医療ニーズは全く違います。地域医療に関しては、その地域で必要とされているものを提供して、それがたとえ100点満点でなくても、浅く広く60点の医療を長く提供できればいいと私は思っています。
医師は、地域やへき地でなくても、都会の病院で働いていても、コミュニケーション能力が重要です。医師だけで医療が完結することはありません。看護師やコメディカルはもちろん、行政、住民も含めて、皆でやっていかなければなりません。医師としての能力は、医師として働く中で身につきますが、コミュニケーション能力は若いうちにしか身につけることができません。そのためには若いころから医師だけでつるまず、幅広い交友関係を持ち、いろいろな人と仲良くなることが大事です。