砂川市立病院
専攻医 小山 裕基 医師プロフィール

出身
北海道旭川市
略歴
- 2021年 旭川医科大学医学部を卒業
- 2021年 手稲渓仁会病院 臨床研修
- 2023年 手稲家庭医療クリニック 総合診療専門研修プログラム
- 2023年 砂川市立病院に勤務
趣味
料理、ギター演奏、デザイン制作
座右の銘・ モットー
connecting the dots
広告業界から医療の世界へ
医療の世界に入る前は都内でデザイナーをしていました。企業からの求めに応じてウェブサイトやアプリを制作して提案する仕事です。華やかな業界で、さまざまな世界を覗き見ることができて面白かったのですが、ずっとパソコンに向かう仕事だったので、もっと直接人と関わり、役に立てるような仕事に就きたいと思い、会社を辞めて32歳で医学部を受験しました。
大きな出会いは医学部2年生のときです。先輩に誘われて日本プライマリ・ケア連合学会の学生向けイベントの運営を手伝うことになりました。そのときに講演に来てくださったのが木村眞司先生でした。木村先生の講演で、多様な地域や幅広い世代の人と密接に関わる家庭医の魅力を知り、ただもうシンプルにかっこいいなと思いました。
翌年には学会が主催するウインターキャンプに参加し、木村先生だけではなく、さまざまな先生方と話す機会がありました。それぞれに良い家庭医像を体現されているのを目の当たりにし、総合診療医、中でも病院総合診療医よりももっと患者さんやその家族を継続的に診続ける家庭医になりたいと思うようになりました。

砂川市立病院での研修
旭川医大卒業後は手稲渓仁会病院で臨床研究を行い、手稲家庭医療クリニックの総合診療専門研修プログラムに進みました。現在は4年間のプログラムの2年目。砂川市立病院での勤務も2年目になります。
砂川市立病院は圏域で最も大規模な急性期総合病院で、唯一の三次医療機関です。近隣のクリニック、病院からの紹介症例が多く集まり、救急外来からの入院症例も多いです。
私自身は外来、病棟のほか、救急当直に入ることも多く、小児から高齢者まで、軽症から重症まで幅広く診られるよう、総合診療医としての総合力を磨く努力をしています。
当院では木村先生が赴任されて以降、院内に総合診療を浸透させ、幅広い疾患が診られる科としての認識が広まっています。さまざまな科の先生とやりとりをする中で、頼りにしていただいていると感じることも増えてきました。
患者さんの思いに向き合う
あるとき外来で、患者さんから怒鳴られたことがありました。その方は3カ月前からさまざまな科を受診したものの診断がつかず、総合診療科に来たのでした。診察室では最初から苦痛に満ちた表情で、私が「お困りごとを教えてください」と聞けば、「そんなのカルテを見ればわかるだろ!」と怒り出す始末。でもこれは「3カ月苦しみ続けた」という思いの表出なんだと考え直し、粘り強く傾聴しました。
だんだんと患者さんが落ち着いてきたところで「少し触らせてください」と言って丁寧に手当て(身体診察)し、お腹がパンパンに張っていたので直腸診をしました。すると指に腫瘍が触れたため検査したところ、悪性腫瘍であることがわかりました。
陰性感情を持つ患者さんに対しても諦めずに話を聞き、患者さんの悩みに立ち向かいながら診断にいたることができたことは、私自身、家庭医としてやっていく一つの自信になりました。

どんなニーズにも応えられる家庭医へ
砂川をはじめとする中空知地域は高齢化が進み、老老介護が問題となっています。都市部と比べ在宅医療・介護のリソースが圧倒的に不足し、自宅で過ごす選択肢は限られています。
現在私は、そうしたこの地域特有の課題と向き合いながら、家族志向のケアであったり、多職種連携のあり方といったテーマに取り組んでいます。
砂川市立病院での研修の後は、手稲家庭医療クリニックに戻って都市型診療所における家庭医療について学ぶ予定です。
将来的にどこでどういった医師になるのかはまだ明確には描いていません。ですが、どんなセッティングでも役に立てる家庭医になることがまずは当面の目標です。
自分がこうありたいというよりは、自分の置かれた環境や地域の中でどんなニーズがあるのかをつかみ、それに対応した医療を提供するのが私の理想とする医師像です。
そういう意味ではデザイナーに似ているかもしれません。デザイナー時代の私は、「こういうものを創作したい」という自分の思いよりも、クライアントが求めるものをうまくキャッチして、カメレオンみたいに自分の色を変えながら、それに適したアウトプットをすることに生き甲斐を感じていました。
医師としての私も、おそらく根っこは一緒です。
将来的にどこに住んだとしても、自分がいるその地域で求められるもの(例えば訪問診療や緩和ケアなど)に、対応できる幅の広さや柔軟性をもった家庭医でありたいと考えています。

デザイナーとして活躍していた30代の初めに、一念発起して医師を志した小山裕基先生。
現在同じ科で働く木村先生の導きもあって、家庭医(総合診療医)の道へと進みました。
専攻医2年目。高齢者が多く居住する地域の基幹病院でさまざまな患者さんと向き合い、医師としてのスキルを幅広く磨く日々。理想とするのは「カメレオンのようにニーズをつかんで適切な医療を提供する家庭医(総合診療医)」だといいます。
地域に根差して人を診る、柔軟性のある医師を目指しています。